2012年8月19日

李承晩

1940年代から50年代にかけて、朝鮮の大統領に李承晩という人物が就任した。48年8月ー60年4月。
日本の固有の領土である竹島を不法占拠したのは、李承晩が大統領をしていた時代である。
李承晩は40年代後半から、日本が敗戦で海軍が解体され、弱体化したのを良いことに、竹島に目を付け始め、日本の大野伴睦に対して、竹島が欲しい、と持ちかけた。そして、駄目だと見ると、最後は、竹島を爆破したらどうか、と語りかけ、大野に一笑に付された。記録のもある。
元々アメリカべったりで、60年4月19日の、4・19デモにより失脚した後は、自分を守ってくれると考えアメリカに亡命した。結局、アメリカにも朝鮮にも見捨てられ、亡命先のアメリカで不遇の死を遂げた。
李承晩は、典型的な朝鮮人だ。
すなわち、自分より強い相手にはペコペコ頭を下げ、自分より弱い相手には、居丈高な態度に出て、欲しいものは強盗をしてでも盗むという人物なのだ。これは、戦後の混乱期に日本に行つた乱暴狼藉を見ても、朝鮮人の元々の国民性である事実を、いまの若い日本人たちは考えた方が良よい。昔の日本人たちはその事 実を皆よく知っていた。
実際に、GHQの操り人形と言われていた李承晩は、40年代に竹島周辺まで漁に来た日本人漁民44人を容赦なく撃ち殺し、日本に何ら断りもなく、李承晩ラインを設置した。それについて何ら謝罪や補償すらしていない極悪非道な朝鮮人なのだ。
日本人はあくまでこのような史実をまずよく知つて朝鮮人と付き合うべきだ。弱い犬は叩けというのが今も昔も変わらぬ朝鮮流韓国だ。
朝鮮戦争でソ連との緩衝地帯となる朝鮮半島全体の統一を狙つていたGHQは、李承晩をとりわけ可愛がった。朝鮮の米軍寄りの軍政を最初に敷いた大統領だつたからだ。日本側が竹島の領有権を主張しても、最後まで認めようとしなかったのは、GHQ総司令官のマッカーサーや朝鮮戦争時代にGHQ極東外交局長を務 めたシーボルトら当時の軍事・外交担当者たちであつた。
彼らは、日本と朝鮮との間に、永遠に揉めるトラブルの種を植え付け、いつかその爆弾が炸裂するように仕掛けていたのだ。
結局、領土問題についても、このGHQ日本占領下における政策が大きく影響している。日本は、今まで、朝鮮に対して当たらず触らずの姿勢を繰り返してきた。原因は、1950年代までに、連合軍総司令部GHQが、摩擦を残す方向へと日朝関係を向けるように仕向けてきたことが大きい。
日本は戦後、アメリカから自立したと考えている日本人は少なくない。
だが、それはあくまで、経済的に自立しただけであって、軍事・外交や領土問題については、決して日本はGHQの占領下から自主独立を果たしていないという事実に、もっと目を向けるべきである。
さらには、李承晩という汚らしい男が、過去に日朝間でしでかした暴挙と日本の歴然たる正当性を内外に発信し続ける必要がある。



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新世紀まほらまひとが啓く道、大義と道義が燦ときらめく、大和人よ、すめらの大地に舞い踊れ、みことの翼でたみをば抱きて、遠遠に契りを交わせしはらからよ、今ぞまほらの地に涌出しなむ。