2013年11月3日

黒曜石と支那大陸、朝鮮半島の石器文化等

ヨーロッパの考古学会では、磨製石斧/砥石で石器を磨いて仕上げる、の出現を持つて新石器時代と位置づけている。それは、一万二千年前以降のことである。

ところが、驚くべき事に、我が日本列島では、既に三万五千年前から、磨製石斧が製造されていた。北海道から奄美大島までの全国約二百の旧石器遺跡から、650点以上の磨製石斧が出土している。

海部陽介氏によれば、日本の磨製石斧は、世界最古であり、且つ其の出土数に於いても他の地域を遥かに凌駕していると言う。

同時代の磨製石器の出土例は、支那大陸、朝鮮半島などの周辺地域では皆無だ。

他にも、ナイフ形石器、台形石器、独自の石刃製作法である湧別技法等々、日本列島で独自に発達した石器の製作法が存在する。

三万五千年前から、我が國の先人は、世界の文明を先駆けていた。

磨製石斧は、金属の斧が普及するまで木の伐採や加工に使われた。石斧は硬い木などを切り出すのに適している。

古代の日本で栗の木が使われたのは、石斧で加工ができ、土中でも杉などと違い腐食しにくく、数百年も柱として使用できる。

柔らかい杉が建材として使われ始めたのは、西アジアから伝わつた新しい建築方法、石の上に柱を立てる基礎工法と鉄器が使われ始めるでからだ。

三万五千年前から、日本列島は、オリジナルな文化が存在していた。世界最古の縄文土器による煮炊き文化、磨製石斧による建築技術や狩猟等の石器文化は、大陸や半島より格段に進んでいた。

※日本列島の旧石器時代/きゅうせっきじだい、は、人類が日本列島へ移住してきた時に始まり、一万六千年前に終わる。無土器時代、先土器時代、先縄文時代ともいう。日本列島全域で、四千箇所を超える遺跡が確認されている。

朝鮮半島では、一万二千年前から七千年前までの遺跡が、全く発見されていない。此の約五千年間、人間が住んだ痕跡が消えている。不思議なことだ。

朝鮮半島の一万二千年以上前/旧石器時代、の遺跡は、五十箇所程度発見されてる。七千年前以降の遺跡なら、数多く発見されている。

一方、我が國では、旧石器時代の遺跡は、三千~五千箇所程度発見されている。


黒潮洗う伊豆・小笠原諸島・南九州、琉球列島を舞台に、旧石器・縄文時代人の広範な海上移動を考古学資料から検証する。

神津島の黒曜石交易、沖縄・港川人の故郷、南九州・栫ノ原型石斧。

八丈島と太平洋の道、小笠原と謎の先史人、壺屋焼陶器と泡盛の道など、日本人の起源、太平洋を渡航した海の縄文人に迫る。

欧州において、初めて海洋航海が行われた。それは、地中海のエーゲ海周辺の黒曜石交易民だつた。約八千年前

一方、我が國の中央部の太平洋上に浮かぶ伊豆諸島神津島に、海洋渡航を行つて石器製作材料の黒曜石の交易活動をしていた海に民がいた。

此の島の黒曜石を入手するには渡航具/筏舟、を利用した海上航行が必要であつた。

石器を主道具とする先史時代にあつては、黒曜石を多量に産出する神津島は、将に宝の島だつたのだ。黒曜石の利用は、縄文弥生時代まで続いた。

驚くことに、東京・武蔵野台地/野川流域、の旧石器人は、既に約三万五千年前に神津島産の黒曜石を利用していた。


火山活動によつて生成された天然ガラスである黒曜石は、打ち欠くと鋭利な剥片となる。細石刃として、鏃/やじり、や石斧、石匙などの利器として、利用れていた。

狩猟・採集を生業とする人々が、如何に黒曜石を求めてきたのか。

遠い原石産地から、山野を超えて、海峡を越えて、黒曜石の辿つた道は、古の御先祖様の生活と進化の軌跡に連なる。

橋本遺跡/神奈川県相模原市中央区、からは二万二千年前の黒曜石が発掘されている。約28%が神津島産である。

神津島から本州島に向けて黒曜石が運ばれるようになつたのは意外に古い。今から二万年以上も前のことである。

当時は海水面が現在よりも低く、神津島や新島などが陸続きで、古伊豆島ともいうべき大きな島が形成されていた。

古伊豆島と伊豆半島との間には30㌔以上の海峡があつたが、当時から、此の海峡を乗り切る交通手段が存在していたことになる。

橋本遺跡のローム層出土の黒曜石128点の分析では、28%が神津島産黒曜石であり、約二万二千七百年前という年代値得られている。

神津島産の黒曜石は、先土器時代を通じて、南関東から静岡県の天竜川辺りにかけて、現在15箇所ほどの遺跡に運ばれていることが判明している。

神津島産黒曜石が本州島で増加していくのは、縄文前期後半からである。

縄文中期にはピークに達し、南関東一帯から静岡県浜名湖周辺にかけて、神津島産黒曜石を出土する遺跡が途切れることなく広がつている。

静岡県東部と伊豆半島、関東地方南部に於いては、分析した黒曜石の実に80%以上を、神津島産黒曜石が占めるようになる。更に遠く北関東にまで運ばれていく。

縄文後・晩期になると、縄文社会自体が衰退期に入り、遺跡数が減少するが、神津島産黒曜石を保有する遺跡数も激減する。

伊豆半島の先端に近い河津桜で有名な、宮林遺跡/静岡県河津町、から発掘された、黒曜石/神津島産、の石器は、三万数千年前の旧石器時代に遡る。

狩猟のために動物を追い込んだ、約二万八千年前の落とし穴とみられる土坑も見つかつている。伊豆半島では初めて、

調査は、2005年から2006年に、約三千平方メートルで実施。

時期 名称 位置
紀元前7500年紀元前6100年 彭頭山文化 長江中流域、湖南省北西部
紀元前7000年紀元前5000年 裴李崗文化 黄河中流域、河南省
紀元前6500年紀元前5500年 後李文化 黄河下流域、山東省
紀元前6220年紀元前5400年 興隆洼文化 遼河流域、内モンゴル自治区遼寧省の境界付近
紀元前6000年紀元前5500年 磁山文化 黄河下流域、河北省南部
紀元前5800年紀元前5400年 老官台文化 黄河上流域、甘粛省から陝西省西部
紀元前5500年紀元前4800年 新楽文化 遼河下流域、遼東半島
紀元前5400年紀元前4500年 趙宝溝文化 灤河流域、内モンゴル自治区から河北省北部
紀元前5300年紀元前4100年 北辛文化 黄河下流域、山東省
紀元前5000年紀元前4500年 河姆渡文化 浙江省余姚市から舟山群島
紀元前5000年紀元前3000年 大渓文化 長江中流域、三峡付近
紀元前5000年紀元前3000年 馬家浜文化 杭州湾北部から太湖
紀元前5000年紀元前3000年 仰韶文化 黄河中流域、河南省陝西省山西省
紀元前4700年紀元前2900年 紅山文化 遼河上流域、内モンゴル自治区遼寧省河北省
紀元前4100年紀元前2600年 大汶口文化 黄河下流域、山東省安徽省河南省江蘇省
紀元前3400年紀元前2250年 良渚文化 長江デルタ
紀元前3100年紀元前2700年 馬家窯文化 黄河上流域、甘粛省青海省
紀元前3100年紀元前2700年 屈家嶺文化 長江中流域、湖北省湖南省
紀元前3000年紀元前2200年 龍山文化 黄河中・下流域
紀元前2800年紀元前2200年 宝墩文化 長江上流域、成都平原
紀元前2500年紀元前2200年 石家河文化 長江中流域、湖北省
紀元前2100年紀元前1500年 二里頭文化 黄河中流域、河南省偃師市

ウィキぺディア引用。

本州ですと、伊豆七島に神津島つていう島がありますけど、そこまで黒曜石/こくようせき、を取りに行つてるんですね。

黒曜石つて産地分析ができるので、神津産の黒曜石がもう三万八千年前位から静岡のあたりで出るんです。

明らかに取りに行つてるんですよ。これも世界最古級。

静岡県の遺跡で見つかつた落とし穴があるんです。

此の写真は、現在の表土を全部剥いで三万年以上前の地表面を出したところですが、小さな谷筋に丸い穴がいくつも空いている。

旧石器時代の落とし穴つて、日本にしかないんです。

しかも、三万年前を超えてますので、世界で最古の罠猟の証拠ですよね。

長野県あたりでよく出てくる、砥石ですとか、刃の先を磨いた石斧/せきふ、があるんですが、磨製の技術つて、新石器時代になつてから世界各地に普及するんです。

日本のものは、オーストラリアと並んで世界最古級なんですね。

日本で発明されたのか、大陸に元々起源があるのか、まだ、分からないんですけど、此の遺跡で出たものを見ると、もうバリバリ研いでますからね。

海部さんは、展示を前にして、本当に楽しくてたまらないというふうな口調で語つてくれた。

最古級だからすごい、というだけではなく、人類史のなかで、我々、日本列島の祖先がどのような位置にいて、全地球的な人類拡散史・文化史を再構成するピースを提供できるか、ということなのだから。

僕の理解では、人類の起源や拡散に関するネタは、ネイチャーやサイエンスと言つた、メジャーな学術誌が最も好む話題の一つだ。

或いは、カメラマンが写真を撮りためて売り込めば、『ナショナル・ジオグラフィック』の本誌に特集が出ても不思議ではない。

博物館で普通に展示されているレベル調査研究されているものが、未だに世界には殆ど知られていないというのは驚きでもある。

実は世界の最先端だつた旧石器時代の日本列島、ナショナル ジオグラフィック、日本版公式サイト via kwout



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新世紀まほらまひとが啓く道、大義と道義が燦ときらめく、大和人よ、すめらの大地に舞い踊れ、みことの翼でたみをば抱きて、遠遠に契りを交わせしはらからよ、今ぞまほらの地に涌出しなむ。