日本統治下の台湾で厳しくも愛にあふれた教育を受けた、日本人であることを誇りに思つていた、という李さんの自慢は、有能な少年工として雷電の製造に奮闘した日々だ。
メンバーは高齢化し、設立当初は3000人を超えた会員数も今で1000人以下になつてしまつたが、此の日、会場には20人以上の仲間がそろいのネクタイで駆けつけた。
空をイメージする上品な濃紺に、銀色の雷電が光るネクタイに話を向けると、緊張気味だつた李さんはようやく顔をほころばせ、日本語でこう語つた。
2000年に記念品として作りました。雷電は私たちの誇りであり、最高の想い出。何の約束もしていませんが、今日はこのネクタイの日だとみな分かつているんです、と。