山岡栄先生は昭和5(1930)年、台湾中部の東勢農林学校に赴任し、教鞭を取つていた。
此の年5月9日のこと、夕方どしゃぶりの雨が降り、水かさが増した川の中に台湾人の学童が落ちてしまった。
山岡先生は自分の身を顧みることなく川の中に飛び込んで子どもを助けた。しかし、先生自身は濁流にのみ込まれ流されて死んでしまつた。
村人は山岡先生をしのび、その食水カ渓のほとりに、殉職山岡先生之碑を建てた。後に、村人はこの碑のそばを通り過ぎる度、祈りを捧げていた。
戦後69年以上が経ち、山岡先生の冥誕77歳を迎えた数年前からは、近くの新興住宅地、白冷セン地区の人々が命日が近づくと先生をしのぶ会を催すようになつた。
今年は、数百株の苗を川岸に植樹し、山岡先生への追悼と感謝の念を表す予定だという。本文より。有り難い話だ。