2012年8月25日

心は工なる画師

一念に祈りを尽くせば胸の奥に、知恵と勇気と慈悲ぞ涌くなり

心とは一体何だろうか。

親しい人の悲報を聞いたとしよう。自分が嬉しいことの最中に突然、聞くと悲しみは大きい。反対に、病に伏せつていることを知つていて万一のことを覚悟して聞いた場合はそれほどではない。

喜びも斯くの如し。同じ吉報でも、予期している場合と、知らなくて突然飛び込んできたのでは喜び方が違う。

しかし、確実に言える事は、肉体を離れての心はないということだ。心だけが浮遊することはない。心を離れ肉体だけが勝手なこともできない。

仏法は、これを、色心不二/肉体と心は切り離せない、と説く。ところが、肉体のどこにも心は見つからない。解剖学者の養老猛司氏は言う。脳を解剖しても心はどこにもない、と。一体、心は何処にあるのか。

心は、自由である。心を囚えることはできない。華厳経には、、とある。心は巧みなる画家が人間の色々な生命の状態を描く様に、宇宙の森羅万象を創造する。

心は極小のミクロの世界に思いを馳せることもできるし、無限大の宇宙に遊ぶこともできる。我即宇宙であり、宇宙即我である。

一念三千ともいい、一瞬の命に三千/宇宙のあらゆる現象、が収まり、周囲の状況によつて変化するともいう。



桜七人会/ことほぎ . 桜七人会/すめらぎ . 桜七人会/うぶすな . アバウトミー

新世紀まほらまひとが啓く道、大義と道義が燦ときらめく、大和人よ、すめらの大地に舞い踊れ、みことの翼でたみをば抱きて、遠遠に契りを交わせしはらからよ、今ぞまほらの地に涌出しなむ。